『 〜 名古屋着。 〜 逢いたいチカラ33』
—前回よりの続きです。
【リンク: ニライカナイ逢いたいチカラ: 『[予知するココロ/暴走するMのエゴとコンプレックス]〜ひかり車中にて想う12〜逢いたいチカラ32』.】
私を乗せた新幹線は 名古屋駅 へと到着しました。
【リンク: 名古屋駅 - Wikipedia.】
私が上京して約6年(当時)、名古屋も随分と様変わりしていましした。
JR名古屋駅は
JRセントラルタワーズ という
【リンク: JRセントラルタワーズ.】
☝[後年の愛知万博同時開催イベント会場よりJRセントラルタワーズを撮影しました]
バブル時の計画当初よりも低くなったとはいえ
駅ビルとしては世界最高の高さの、245メートルのツインビルと直結していて
著名なホテルや百貨店も入居し、
華やかな雰囲気でキレイになっていました。
確かこの頃はまだ工事中の部分があったり
開店していない店鋪などもあったように記憶しています。
長い長い連絡通路を小走りに駆け抜け
東山線 という地下鉄へ乗り換えます。
【リンク: ニライカナイ逢いたいチカラ: 『逢いたいチカラ4 〜遠感2〜』.】
東京の地下鉄や電車に乗り馴れていると
名古屋の地下鉄の車内が狭く感じられます。
もしかすると何かの錯覚かも知れませんが
やはり乗降客数の(東京との)圧倒的な差で
車幅などが若干狭く造られているのでしょう。
☝[名古屋の中心地、栄(さかえ)のTV塔]
名古屋の人たちのファッションは
東京で見なれている様子とはまた違います。
私が当時、住んでいた渋谷で
厚底サンダルなどの奇抜なファッションを
毎日のように目にしていたせいもあったのでしょう。
( この数年後には若い女性のファッションが
名古屋嬢ファッションなどとして色々なメディアに取り上げられ
そういう特徴があったんだなぁ、と改めて知ったりもします。 )
広告もローカルなものが目立ちます。
俺の原点は‥こんな街だったっけ…。
と僅か二ヶ月程前に見たばかりの故郷の風景なのに
なぜか懐かしさ共に少しの違和感が感じられたのでした。
☝[名古屋の中心地、栄(さかえ)に後年建設されたオアシス21]
いくつもの交通機関を乗り継ぎ
やっと実家の灯りが目の前に在ります。
弱りきっているであろうリュウ(柴)にやっと逢うことができることに
気が急いて少し興奮しています。
日付けは既に午前零時を回り8日(2001.12.8)になっていました。
自分で持っている実家のカギで玄関の扉を開き
いつもリュウの居るリビングのドアを勢いよく開きました。
リュウは…
“ びっくりヨロコビ ”で出迎えてくれたのでした。
【リンク: ニライカナイ逢いたいチカラ: コミック1『びっくりヨロコビ』.】
リュウは専用に家具職人に注文して造ってもらったカゴの中で寝ていて
母が横に添寝をしていました。
あの クラシカルなクリスマスツリー が
静かに瞬きを繰り返しています。
【リンク: ニライカナイ逢いたいチカラ: 『逢いたいチカラ20〜悲しみの道玄坂X’mas4〜[クリスマスツリーと春の萌し]』(photo).】
リュウはカゴから出て来る元気もないようです。
いつもは必ずリュウが私を出迎えに
私の元へ駆け寄ってくれていたのでした。
動けないリュウへ私から走ってゆくことになるなんて…。
リュウへの愛おしい想いがいっぱいになり
とにかくリュウを抱きしめてあげました。
『 もおう大丈夫だでな! 兄ちゃんがリュウを助けてあげる!
何があってもお金がいくらかかっても絶対に助けたる!
何にも心配せんでええぞ! 』
心の中でそう叫びながら歯をギュッと噛み締め
リュウを抱きしめ続けました。
‥1分が過ぎたのか、2分が過ぎたのか‥。
私はスッと顔を上げリュウの顔を見つめました。
どれだけのツラい思いをしたのだろう?‥
リュウは目をつむったまま身じろぎもしません。
疲れ果てた表情を浮かべつつも
私からの愛情を噛み締めるかのように身を丸くしていたのでした。
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【リンク: ニライカナイ逢いたいチカラ: 『逢いたいチカラ』.】
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