『逢いたいチカラ6〜最後のサンポ2〜』
別の日に今度はリュウと私だけで散歩に出かけました。
行く先はリュウが決めます。
何パターンかあるのですが、たまにしか実家に帰らない私は
新しく開拓した散歩道を知りません。
リュウは後ろを振り返り、振り返り、私の目を確認しつつ
得意気にリードしてゆきます。
マンションの敷地を抜け道にしたり
道路を渡る時ちゃんと立ち止まってから渡ったり。
1時間以上も歩いて
ウチの前まで帰ってきたのですが
リュウは実家の門を素通りしてしまい、別の散歩コースへ、
さらにサンポを続けようとしました。
こんな事は初めてでした。
リュウとの散歩をいつも以上に楽しみにしていた私は
リュウが納得いくまで
とことん付き合ってあげることにしました。
結局、普段の2倍、2時間ほどの散歩となりました。
日も暮れて辺りも暗くなってしまいましたが
リュウはまだまだ散歩を続けたい、
いつまでも帰らないという様子です。
「 もう帰ろう 」
私はリュウに言いました。
すると私の目をじっと見つめたリュウは
納得してくれたようで帰り路につきました。
本当に聞き分けの良い子なんです。
リュウは何か知っていたのでしょうか?
この約二ヶ月後にリュウが重病との知らせを受けた時には
リュウは散歩ができる状態になく
このサンポが私との最後のサンポとなりました。
私との最後のサンポとなる事が解っていて、
古郷の風景をたくさん目に焼け付けておきたくて、
いつまでもサンポを止めなかったのかなぁ、と
思い出す時、
ただ一人運命を受け入れていたのかと
考えるとそのいじらしさで
切なくなるのです。
—リュウが愛した○は
現在○である
○まで続いています。
また、リュウのサンポコースのひとつだった○からは、
○が走っています。
人類の叡智を結集したような展示が行われている
○の地で育った1匹の柴犬のリュウが
現在の科学を超越した現象(後々記してゆきます)を
‘逢いたいという想い’
だけで次々と私に示してくれる。
この
‘逢いたいチカラ’=‘愛のチカラ’
とも呼べるチカラは
母や 私やリュウだけが特別に持っているチカラではないと思います。
たぶん人類や生命あるもの全てが持つ
生命の真の構造が為せる技なのだと感じるのです。
いつの日か、
神秘とか感傷というベールに包んでしまって
オカルトの範疇に納めてしまわずに
○や科学のステージで
魂や 生命の真の構造について人類が語る日が、
そんなに遠くはない未来にやって来るのかも知れません。
—続く。
※『逢いたいチカラ』は全て実話です。誇張なども一切ありません。
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